小鳥と鈴と、それからタワシ。

良くも悪くも1割の思考人間。いや、もしかしたら量産型女子大生。顔と性格と若さと身体とアイデアと実行力とユーモアとモノマネと女子力のなさだけが取り柄。

コピペ

母はいい人ではあるのだが、タワシの遺伝子の創造主とあって、ひとつひとつが薄っぺらい。
彼女は実体験ではなく、どこかから聞いてきた情報をコピペして、我が物顔で生きている。
色とりどりで美味しそうだったから買ってきたフルーツも、「○○という成分が入っているから良い」と言う。「人は情報を食っている」の権化である。純粋に「美味い」と思えないものか。
まだコピペして活かせているのならよいが、たいていコピーすら完全ではなく、情報を得る過程に重きを置き結局何にもなっていないことが多い。片付けの本が積ん読状態で、それが部屋を雑然とさせているというまさに本末転倒の状態を生み出している。
部屋も人も、まさにみんな違ってみんないいのである。そして彼女も人と違うまま(専業主婦にしてママ友を作らず、実家に帰省もしないという当時では考えられない偉業を成し遂げた)ここまで来たというのに、わたしには普通を求める。普通じゃないひとに普通とか常識を教えられるとかえって世間との溝は深まりそうであるが。ひとまず彼女はどのような自己啓発本や成功本を読んでも、「公務員が全て」という宗派を変えることはない。それはそれでよいのだが、あまりにもタワシそのものを理解していなさすぎる。たしかに、日本ではあれこれ手をつけるよりも、公務員がひとまず安泰である。しかしながら、公務員の条件は私にはあまりにも合っていない。まず、タワシは若いうちに稼ぎたいのに、公務員はその逆。定年になってやっと莫大な退職金が貰える。それがまず合っていない。合っている人も多数いるであろうがタワシには合っていない。そして、決まったことを、同じようにやる。タワシが人生で最も嫌うこと、それは脳死状態である。自分が必死に働かなくとも子供の成長を見守れる、専業主婦になりたいとはっきり言えないのはこれが理由だ。ママ友との生産性のない関わりには絶対に迎合できない。かといってオーバーワークも確実に死ねる。
ライフイズバランスという私の信念。これを叶えてくれる仕事とは一体なんだろう。
ひとつには、スペインで教師をすることかと考えている。日本人でもスペインの公務員になれるというのだから驚きである。これなら母の望みも満たすことができ、タワシも教育は好きだし、一石二鳥である。そして何より、私はスペインが途方もなく好きである。これは、自分の足でバルセロナの地を踏み、経験したことによる。父は、何十カ国も海外旅行をしたというが、今までで一番良かった国は、と聞くとやはり彼の口からもスペインという言葉が出た。

アメリカで味わえることは、傘下の日本でもたいてい味わえる。日本にもコストコはあるし、AmazoniPhoneも使える。そしてイギリスフランスはよほどの目的意識がない限り、racismにあって終わりだ。北欧もシステムは素晴らしいがまぁ日本でいう秋田県のようなものだろう。寒いが故に色白で美しく、教育にも力を入れているが、それだけ殻に閉じこもる人も少なくないはずである。
イタリアは、踏み倒されすぎてもはや旨みはあまり残っていないように思う。イタリアもアメリカ同様、日本でもイタリア料理は食べられる。イタリアに行って良かったと影響された点は、コロッセオでも真実の口でもなく、人々の外見の造形の美しさ(特に男の人)、服装をシンプルな黒で揃えたセンス、そして一番は街行く人の誰もスマホをいじっていないという点である。日本で当たり前のように見かける「友達や恋人同士でいてもスマホ」状態が、とっくに全世界でスマホが浸透している2014年頃の時点でイタリアでは0であった。1人の時は穏やかに前を向き、恋人同士ではこちらが恥ずかしくなるほど愛し合い、友達同士では顔をつき合わせて笑いながらおしゃべりしている。ネットの日本叩きも結局は‘’火のないところに煙は立たぬ‘’であり、帰国後の電車は死人の船に見えた。顔の造形が劣っているのは私も含め生まれつきであり仕方ないが、後天的な顔つきまでもが暗く、沈んでいて、うつろで怖かった。そして小学生グループまで全員が無言でスマホをいじっていた。
海外の料理やデザインはすぐにコピペするのに、こういった人間の本質を真似ない日本はやはりナンセンスだと思う。西海岸風のカフェを量産するくらいなら、子供への教育をコピペしろと思う。アメリカの教育アプリは、算数がゲーム化されている。アメリカらしく、ハンバーガーの具をキャベツと肉で1:3、のように視覚化していてわかりやすい。クリアすれば褒めてくれるし、間違えても未来志向である。紙ではできないことを実現させているアメリカの技術は感心する。日本のドリル形式のままであるのならば、従来の紙のほうがいいだろう。

欲しいものは学生のタワシですらすぐに安く手に入る日本であるが、教育や福祉がオワコンすぎると痛感してしまう。これらを極力避けるオプションがあればべつに悪くない国ではあると思うのだが、いずれも義務だ。自分と同じ思い(無意味な時間を費やした)を子供にさせたくないので、インターナショナルスクールも考えたが、インターに通う塾の教え子が、結局高校生の頃の私と同じようなことを言ってぼやいていた(医学部がどうだとか)ので、結局英語のある環境でも日本は日本なのだと知った瞬間であった。インターナショナルスクールに通えるという恵まれた環境にいても、主体性のある教育を受けなければ、むしろ日本の学校よりも不利である(インターの数学は高3の時点で日本の中3レベル)。

結局タワシはスペインが好きだ。色々考えに考えたうえで。横浜がもう少し福岡のような変革力のある都市になってくれば横浜は世界一だが。そのときには横浜は従来の日本を独立して、かなり躍進的な
国になれると思う笑
なぜスペインかといえば、その価値が簡単にコピペできるものではないからだ。日本でのスペインのイメージはせいぜいパエリアだろう。スペイン料理は本当に粉物が少ない。海鮮から肉、フルーツ、何でもある。自給率は驚異の96%である。まぁ100%を超える国もあるのだが、39%の日本からすればありえない数字であろう。タマリンドジュースというどこに需要があるのかわからないものまで生み出せるのだから笑える。
そして、この観光地があるから、という必死さがない。ピカソだかダリだかの美術館の目立たなさは異常である。もうね、あほかと。自己顕示欲なさすぎである。Googleマップを使っても全く見つからず、通り過ぎてしまうほど小さい。あの適当さは、観光大国()日本には出せまい。
街全体が芸術である。コンビニもないしトイレもないが許せてしまう。何より人がアジアンに排他的でないという、ヨーロッパにしては珍しい受け入れもよい。
気候も良く、人々がのびのびして明るい。自転車を漕ぎながら犬の散歩をしている人がいて、自由だなぁと素直に感心した。父も「なんか。。いいなぁw」と言っていた。めんどくさいから自転車、というふうでは全くなく、自然に軽やかに散歩をしていた。
情報としてコピペできない、ゆったりとした雰囲気、時間がある。

これからは、母やysのような昭和コピペマンの言うことはほどほどに、まぁ仲良くはして、どんどん
スペインで成功している日本人の情報を取り入れようと思う。意外と意識高い系やエリート、ぶっ飛んだ人だけでなく、「こんなふっつーの人が!?」というような人までもが楽々と永住権を取得していたりするのだからいい時代である。専門卒で、日本人の旦那とスペインに住むひと。最強wほんと行動の時代になったなと。弁護士が日付を回っても働きつづけ、金にならない国選の仕事で福祉活動をしていたり、証券マンが就労支援のNPOに転職を考える時代。ほんと考え方やな。
ま、タワシの夢はやっぱりスペインにのほほんと溶け込んで可愛い子供産んで家庭を作ることやw
まぁ一長一短あるやろうけどそれはみんな一緒だからね。客観的に見てやばいのは地震原発問題抱えてる日本のほうだしね。テロはフランスが受け止める。。はず。
若者の時間を無駄な労働に費やして消費していく日本よりは、失業率がぶっとんでもケ・セラ・セラなスペインのが肌に合ってる。あーーー、行く。ゼッタイ。